テルアビブ,イスラエルについて

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ワールドカップサーカー

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P・マッカートニーがイスラエルで初のコンサート
時事通信, Japan - Sep 26, 2008
テルアビブ25日AFP=時事】元ビートルズメンバーのポール・マッカートニー(66)が25日、イスラエルのテルアビブで初の野外コンサートを行い、観衆を熱狂 ...
P・マッカートニー、イスラエルで初のコンサート ロイター
イスラエル:元ビートルズのポールさん、44年越し公演実現 中東和平 ... 毎日新聞
ビートルズ公演中止から43年 ポールがイスラエル公演 朝日新聞
読売新聞 - 47NEWS
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日本経済新聞

サッカー=UEFA杯、ACミランがグループリーグ進出
ロイター, Japan - Oct 2, 2008
松井大輔が所属するサンテティエンヌ(フランス)はハポエル・テルアビブ(イスラエル)を2―1で下し、2試合合計4―2で1回戦突破。 ...
ウォルフスブルク、サンテティエンヌが進出=UEFA杯サッカー 時事通信
長谷部のウォルフが進出 ミランもグループリーグへ 47NEWS
UEFAカップ1回戦の第2戦が2日、各地で行なわれ、ACミラン ... FC JAPAN.
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北海道新聞

サッカーUEFA杯1回戦、ACミランがチューリヒに先勝
ロイター, Japan - Sep 18, 2008
... はラピッド・ブカレスト(ルーマニア)に1―0で先勝し、松井大輔が所属するサンテティエンヌ(フランス)はハポエル・テルアビブ(イスラエル)に2―1で競り勝った。
長谷部、フル出場で勝利に貢献=松井、宮本は欠場-UEFA杯サッカー 時事通信
ミラン先勝、長谷部は活躍 UEFA杯1回戦第1戦 47NEWS
<UEFAカップ 1回戦・第1戦> ミラン、ボルフスブルクなど先勝 FC JAPAN.
サンケイスポーツ
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イスラエルでも汚染牛乳販売、企業に17億円賠償判決
読売新聞, Japan - Oct 7, 2008
【エルサレム=三井美奈】イスラエルのテルアビブ地裁は7日、1994年から約1年半、牛乳に許容量の約10倍のシリコーン樹脂を添加、販売していた同国の乳産業最大 ...

IBTimes

【横顔】イスラエル2人目の女性宰相へ、ツィピ・リブニ氏(50)
MSN産経ニュース, Japan - Sep 18, 2008
1958年、地中海に面したテルアビブの生まれ。英植民地時代に反英、反アラブ闘争を行ったユダヤ過激地下組織イルグンのメンバーだった“超国家主義者”の両親の影響下 ...
キーパーソン:ツィピ・リブニ氏=イスラエル与党カディマの新党首 毎日新聞
リブニ氏、薄氷の勝利 イスラエル与党党首選 連立交渉成功なら首相に 中日新聞
イスラエル、首相選びが中東和平交渉に影 AFPBB News
MSN産経ニュース
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初期エレポップバンド、デペッシュ・モードがベルリンのオリンピック ...
TimeWarp, Japan - Oct 6, 2008
... 要素を強め、様々なアーティストに大きな影響を与えた。ワールドツアーは、来年5月のイスラエル・テルアビブ公演からスタートし、ヨーロッパの各都市を訪れる予定。
デペッシュ・モード、2009年ワールドツアー決定 AFPBB News
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欧州・バックパッカーの旅【54】 イスラエル・エルサレムの新市街を歩く(by さすらいおじさんさん)

テルアビブ
エルサレム新市街の目玉はイスラエル博物館だ。ヤッフォ門からバスで行こうと思っていたのだが、直通バスが無いのでタクシー6米ドル・720円で行った。入場料は42シェケル・1260円。最初に行った死海写本館には1947年に死海西北のクムランで発見された世界最古のヘブライ語で筆写されたユダヤ教聖典写本が所蔵されている。20世紀最大の発見と言われるユダヤ教聖典写本は紀元前2世紀から起源1世紀にかけて筆写されたものだそうだ。写本が入っていた壷のふたの形の建物に厳重に保管されていた。写真撮影も禁止。ヨルダン・アンマンの国立考古学博物館にも死海写本の一部が展示されていたが、こちらは写真も自由だった。イスラエルとヨルダンの間で聖典の所有権をめぐって今も水面下の争いがあるそうだ。
彫刻庭園はイサム・ノグチのデザインでピカソ、ヘンリー・ムーアなどの彫刻もあり良く手入れされている。イスラエル博物館は国の顔と言える博物館で考古学部門や美術部門なども見所は多い。
新市街には国会議事堂やモダンな建物もありイスラエル博物館の高台から良く見える。
11月2日は早朝7:05発の飛行機でキプロス・ラルナカに向かったが、出国審査が厳しく午前4時には審査を受けなければならないと聞いていた。入国審査の厳しさを考えれば、旅行者の都合などお構いなしのイスラエル、出国審査で問題があれば足止めされることも考えられる。已む無く11月1日の夜に審査を受けて、翌朝の飛行機を待つことにした。
19時にバスで空港に着くと入り口手前で、30人ほどのイスラエル人は素通りしているのに、私だけが検査官に呼び止められた。バッグの中、身に付けた持ち物すべてを出されたうえ、入国目的、滞在場所、滞在期間、などの質問を受けた。ホステルの領収書、博物館の入場券、ヴィア・ドロローサの資料、スケジュール表、帰国チケットなどで説明するとようやく入り口を通してくれて荷物審査の場所に連れて行き、今度は3人の係官がかわるがわる同じような質問を繰り返しする。次に荷物をくまなく調べたうえでX線検査装置を通し、また別の係官が同様の質問をする。最後に責任者らしい係官が来てようやく検査完了のラベルをパスポートと荷物に貼ってくれた。5人の係官が2時間がかりでの取り調べだ。これだけ厳しい審査は初めてだった。大きなリュックサックはアテネのホステルに預けて来ているので荷物は少ないのに2時間もかける。大きな荷物を持って来ていたらどれだけ時間がかかったのだろうと思った。あとで解ったのだが、10月31日から3日間のガザ地区での戦闘で20人以上の死者を出していた。戦闘状態の国に入国しているのだから、バックパッカーで一人旅の外国人のチェックが厳しいのも当然かもしれないし、スパイ容疑もかけられずに無事出国できて良かった。入出国は大変だったが長年訪問したかったエルサレムの3日間は充実していた。
11月2日、7:05キプロス航空機で出国し、キプロスのラルナカに8:00に着いた。
(イスラエルの費用)
宿泊費;25シェケル・750円x2=1500円
移動費;アテネ−ラルナカ−テルアビブ往復62500円、テルアビブ空港−バスステーション往復40シェケル・1200円、バスセンター−ヤッフォ11シェケル・330円、ダマスカス門−ベツレヘム往復7シェケル・210円、ベツレヘムのタクシー20シェケル・600円、ヤッフォ−博物館タクシー6米ドル・720円、博物館−バスセンター5.5シェケル・170円 計65730円
食費;3050円
観光費;ホロコースト博物館10シェケル・300円、イスラエル博物館42シェケル・1260円、鶏鳴教会7シェケル・210円、計1770円
雑費;2630円
合計;74650円
(写真は死海写本館)





【旅行時期】2006/11/01~2006/11/01
【エリア】エルサレム
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

欧州・バックパッカーの旅【55】 トルコ系、ギリシャ系住民間の緊張が続くキプロスのニコシア(by さすらいおじさんさん)

テルアビブ
11月2日、テルアビブ07:05発のキプロス航空機で08:00キプロスのラルナカ空港着。急いで入国手続きをして8:40発のニコシア行きバス(3.5キプロスポンド・1050円)でニコシアに向かい10:30ニコシアのバスセンター着。キプロスは紀元前から軍事、交通の要衝として時代の支配者に翻弄されてきた。ヒッタイト、アッシリア、エジプト、ギリシア、ローマ帝国、東ローマ帝国、イングランド、ヴェネツィア共和国、オスマン帝国、イギリスと、目まぐるしい侵略の歴史を経て1960年にイギリスから独立。だが、キリスト教のギリシャ系住民とイスラム教のトルコ系住民の共存は難しく、1974年にギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領。トルコ占領地域にトルコ系住民の大半、非占領地域にギリシャ系住民の大半が流入して民族的にも南北に分断された。現在も北キプロスのトルコ系住民は、1983年以来、トルコのみが承認する「独立国家」北キプロス・トルコ共和国を名乗っている。独立を認めず不法占拠だと主張する、キプロス島南部のギリシャ系キプロス共和国政府とは現在も休戦状態で、南北キプロスを隔てる境界線・グリーンラインには国連キプロス平和維持軍 が駐留して監視している。首都ニコシアは中央をグリーンラインで分断されており、今回は休戦状態のニコシアを見ることが訪問の目的だった。
まず向かったのが旧市街の百貨店の11階にあるシャコラス・タワー(0.5ポンド・150円)。展望窓には双眼鏡も用意されており、トルコ占領地域が良く見える。聖ソフィア大聖堂、聖ニコラス教会など、タワーからたくさんの人達が見ることを意識した上のことだろう、トルコ国旗を誇らしげに旗めかしている。タワーでは、トルコ側の不法占拠をアピールするパネルを展示し、キプロスの歴史をビデオを流している。グリーンラインの展望所まで行って見ると、銃を持った警備兵が国境を守り、写真撮影をさせないように注意していた。展望所のそばには、1974年の内戦で行方不明になった人達の写真を掲げ、トルコ軍の不条理を訴えている。グリーンライン沿いに国連キプロス平和維持軍が駐留する国境事務所に向かうとグリーンライン近くの民家の多くには内戦の銃弾の跡が生々しく残っている。トルコ側の公園がグリーンライン沿いにあり、見ていると、カップルが「こっちはトルコ側だ。どこから来た」と聞いてきた。「日本だ」と答えると、「先にある国境事務所に行けばこっちに入れるよ」と教えてくれた。国境事務所では国連軍がいて、パスポートを見せると通してくれた。トルコ側の国境周辺を見るがやはり物々しさ、緊張感がある。世界中にキリスト教系住民とイスラム教系住民が共存している国は多いが、米英がテロを警戒するように、水面下に問題を抱えた国が多いのだろう。
ニコシアの街を歩き、ニコシアの歴史を紹介しているレベンティス博物館を見学するが、ここでも警備員にしっかり見られていた。キプロスは戦時下の緊張がある国だった。
20:00ラルナカ発のキプロス航空機で21:45アテネに戻った。
(キプロスの費用)
移動費;空港−ニコシア3.5ポンド・1050円、ニコシア−ラルナカ2.5ポンド・750円、ラルナカー空港0.6ポンド・180円、計1980円
食費;780円
観光費;シャコラスタワー0.5ポンド・150円
雑費;600円
合計;3510円
(写真はシャコラス・タワーから見るトルコ国旗を旗めかしているトルコ占領地域)

【旅行時期】2006/11/02~2006/11/02
【エリア】ニコシア
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

欧州・バックパッカーの旅【50】 イスラエル・エルサレムの「悲しみの道」を歩く(by さすらいおじさんさん)

テルアビブ
10月29日の23:30にイスラエル・テルアビブのベン・グリオン空港着。入国審査は予想通り厳しかった。若い女性の係官だったのだが、にこりともしないで、入国目的は?知人がいるのか?ホテル名は?滞在日数は?出国チケットは?帰国チケットは?と矢継ぎ早に質問してくる。たじたじしながら答えて、パスポートにスタンプを押さないでと頼むと何故だ?と聞かれた。ガイドブックにも「No stanp please」で別の紙にスタンプを押してくれると書いてあったので、答えを考えていなかった。「イスラム国に入国できなくなるから」と言えば入国拒否されるのではないかと不安で、答えに窮してもじもじしていると何度もWhy?と言ってくる。口の中でもごもごしていると業を煮やしたのか、係官のほうから睨みつけて「モスリム国?」ときた。そうだと答えると別紙にスタンプを押してパスポートを投げ返してきた。この間30分、どれだけたくさんの旅行者が待っていようがお構いなしだ。これまでの入国審査でこれほど横柄な係官に会ったことがない。入国できたのは夜中の1時。換金し、エルサレム行きのバスターミナルをインフォーメーションで聞き、空港で朝を待つことにした。6:30の5番バスで20シェケル・600円を払い、終点で947番バスに乗り換えてエゲットバスのセントラルステーションに8:10着。バスの時刻表などをもらってヤッフォゲート行き20番バスで9時ヤッフォ門着。インフォーメーションで地図をもらって旧市街のスークの中にある聖墳墓教会に近いタバスコホステルを探すが迷路のような道でなかなか見つからない。何度も道を尋ねてようやくたどり着いたがヘブロン・トゥデイ・ホステルと言う名前に変わっていた。1泊25シェケル・750円のドミトリーにチェックインできたのは10月30日の10:30。
エルサレム訪問の目的のひとつはアントニアの要塞で死刑判決を受けたイエス・キリストが十字架を担いで磔の刑に処されたゴルゴタの丘まで歩いたと言われるヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩くことだ。10月30日の午後「巡礼者のためのガイド」(5シェケル・150円)を買って14あるステーションを探しながら歩いた。
*ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
第1ステーション:イエスが死刑判決を受けた総督官邸跡、現在はオマリーエ学校の校庭。
第2ステーション:イエスが十字架を担がされたフランシスコ会。
第3ステーション:イエスが十字架の重みに倒れた場所。ポーランドのカトリック騎士団が聖堂を建てた。
第4ステーション:聖母マリアがイエスを見守った場所、現在はアルメニア・カトリック教会。
第5ステーション:クレネ人シモンがイエスに代わって十字架を担いだ場所。
第6ステーション:ベロニカがイエスの顔を拭った、現在はイエスの小さき姉妹会修道院。
第7ステーション:イエスが2度目に倒れた、判決の門。
第8ステーション:イエスがエルサレムの娘たちを慰めた、現在のギリシャ正教の修道院。
第9ステーション:イエスが3度目に倒れた、現在のコプト派総主教府入り口脇の柱。
第10ステーション:イエスが衣を脱がされた聖墳墓教会の階段の場所。
第11ステーション:イエスが十字架に釘付けにされたローマ・カトリックの祭壇の場所。
第12ステーション:イエスが十字架上で息を引き取ったギリシャ正教会の祭壇の場所。
第13ステーション:イエスが十字架から降ろされた「悲しみのマリア像」の場所。
第14ステーション:イエスが葬られた聖墳墓教会のギリシャ正教の墓。

ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩きながら、イエスは重い十字架を担がされて何度も倒れながら、どんな思いでこの道を歩いたのだろうと考えていた。
(写真はヴィア・ドロローサ−悲しみの道)

【旅行時期】2006/10/30~2006/10/30
【エリア】エルサレム
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

欧州・バックパッカーの旅【49】 キプロス・ラルナカのフラミンゴ(by さすらいおじさんさん)

テルアビブ
10月29日から冬時間でギリシャは1時間遅くなった。おかげで朝もゆっくりして、アテネ12:15発の飛行機で13:15キプロスのラルナカ着。イスラエルのテルアビブへの出発時間22:35までラルナカを観光した。29日は日曜日だったのでローカルバスが運休しており、空港から近いソルト湖に行った。塩水の湖にはフラミンゴがたくさんいて、ピンクの姿を湖面に映し出していた。フラミンゴは動物園で見たことがあるのだが、自然の中の姿を見るのは初めて。もっと近づいて見たくなって塩湖が干上がって白い塩をふいている泥地の中に入った。湖岸の土は固くて普通に歩けるのだが、フラミンゴから50mほどのところまで進むと足元はやわらかい泥で靴が見えなくなるほど沈んでしまった。写真を撮って湖岸に戻ろうとしたが沈んだ足が抜けずあやうく泥沼の中にころびそうになった。なんとか持ちこたえて後ろを振り向くと、湖岸に10人ほどの野次馬が集まってこっちを見ている。私がころぶのを期待しているのか、泥沼から戻れなくなることを心配してくれているのかは解らないが黙って見ている。これはころんだら笑いものになると思って、よろよろしながら必死で靴が見えなくなった左足を抜き出し、新しい足場に左足を置いて、左足が沈みこむ前に右足を慎重に抜き出して少しずつ後ろに進み、なんとかころばずに湖岸にたどり着いた。ほっとして野次馬を見ると、がっかりしたのか、安心したのか、皆黙ってこちらを見ながら去っていった。
ソルト湖は周辺の光景もきれいで1816年に建造されたイスラム教で3番目に重要なモスクと言われるハラ・スルタン寺や夕日も美しかった。
10月29日、22:35発の飛行機でイスラエルのテルアビブに23:30に着いた。
(写真はソルト湖のフラミンゴ)


【旅行時期】2006/10/29~2006/10/29
【エリア】ラルナカ
【テーマ】大自然・動物
【投稿者】さすらいおじさん

中東の旅【3】 世界有数の雄大さと優美さを誇る レバノンのローマ神殿「バールベック遺跡」(by さすらいおじさんさん)

テルアビブ
レバノンが誇る世界遺産、バールベック遺跡は、ベカー高原のほぼ中央、人口1万人、標高1150mのバールベックの街にある。バールベックは旧約聖書の最初の人類、アダムが住んでいたという神話がある宗教の歴史でも重要な街だ。ローマ帝国の支配時代にジュリアス・シーザー、カラカラ帝、暴君の悪名高いネロ帝など歴代のローマ皇帝が建造したといわれる大神殿の中でもジュピター神殿に残る直径2.2m、高さ22mのコリント式の6本の大列柱の大きさには驚いた。この神殿は紀元60年頃に建てられた南北幅54m、東西奥行き90mの巨大なもので、ギリシャ・アテネのパルテノン神殿を遥かに凌ぐ規模だ。パルテノン神殿の列柱の高さが7.3mということだから高さだけでも3倍だ。実は私はバールベック遺跡の写真は見ていたが大きさのイメージが無かった。この遺跡は実物を見ないと雄大さは実感できないだろう。また、バッカス神殿は南北36m、東西68m、完成したのは紀元150年頃。ジュピター神殿より少し小さいがローマ時代の神殿の中では最高の保存状態だそうだ。屋根は抜け落ちて無いが列柱や彫刻はほぼ原形をとどめており、神々や歴代の皇帝の妃をモチーフにした彫刻が施されている。毒蛇に体をかませて自殺したと言われるクレオパトラの彫刻も地震で落ちた部分を真近にみることができる。
中東紛争とレバノン内戦のため、長い間バールベック遺跡へは外国人観光客の立ち入りが禁止されていた。1971年以降、日本赤軍のメンバーがPLOのアラファト議長やPLOの武装ゲリラ組織「PFLP」(パレスチナ解放人民戦線)と連携をし、バールベックで軍事訓練をしている。1972年に26人の死者、73人の重軽傷者を出したテルアビブ空港襲撃事件を首謀し自らも死亡した奥平剛士、2000年に日本で逮捕され2001年に日本赤軍の解散宣言をした日本赤軍最高指導者・重信房子らが中心だった。バールベックは1970年代に日本人テロリストを育成した危険な戦闘地域でもあった。世界的にも重要なバールベック遺跡が破壊される事無く雄大で優美な姿を見ることができたことに感動した。
(写真はバールベック遺跡・ジュピター神殿に残る直径2.2m、高さ22mの大列柱)

【旅行時期】2005/09/27~2005/10/08
【エリア】バールベック
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】さすらいおじさん

ユダヤ人の聖地イスラエル エルサレム(by seattleさん)

テルアビブ
エルサレムは標高800mの山の上にある。 古い町で紀元前200年もの昔の文書にその名が記されている。 紀元前100年頃のダビデ王がここをユダヤ人の国の首都と定め、その子のソロモンが華麗な神殿を建設して以来エルサレムはユダヤ人にとってかけがえのない町になった。 神様に最も近い街。

【旅行時期】1993/09/~1993/09/
【エリア】エルサレム
【テーマ】
【投稿者】seattle

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海外旅行記-はじめての世界一周