ポーランド旅行記〜Krakow〜(by somedayさん)
1596年にワルシャワに首都が移るまで、ポーランド王国の首都として栄華を極めたクラクフ。第二次世界大戦で完全に破壊されたワルシャワとは対照的に、ほぼ完全な形で中世の街並みが残っています。特に中央市場広場を中心とした旧市街には、歴史的な建物がたくさんあります。
そのほかの見所としては、クラクフから1時間40分ほどかかるところにあるアウシュビッツ(オシフィエンチム)があります。アウシュビッツを訪れるかどうか迷いましたが、やはり行って良かったと思っています。戦争という状況の下、人間の狂気がどんなことをしたのか、過去の戦争時に日本人が行ったことを思い返さずにはいられませんでした。
【旅行時期】2004/09/11~2004/09/20
【エリア】
クラクフ
【テーマ】
【投稿者】
someday
8000年前からの葡萄発祥地でワインを堪能!(by alpsmakiさん)
マルコ・ポーロが“絵に描いたように美しい”と言った首都『トビリシ』を訪れる
アンマンからアンマンへ7カ国をゆく#18(シリア?、タルトゥース)(by 放蕩息子33さん)
「36時間の長旅−イエレヴァンからタルトゥースへ」
2005年9月4日
イェレヴァンから朝11時のミニバスでトビリシに向かう。午後4時にトビリシ着。ネリダリの家で一泊。次の日の朝、9時出発のミニバスでバトゥーミへ。来た道を再び、戻ることになる。午後4時にバトゥーミ着。まだグルジアのお金が残っていたので、カフェに入って、ドーナツのようなものとティーを注文する。坐っていると、地元の若者が3人入ってきて、私の隣の席に坐る。興味ありそうに私の方を眺めているが、そのうち、その中のひとりが私の前の席に坐って、ドーナツを食べ始める。グルジア語やロシア語で話し掛けてくるが、英語は分からない。ドーナツをひとつ私にくれる。最初は冷やかしかと思ったが、意外と礼儀正しく、フレンドリーだった。
そして国境に。国境行きのローカルのミニバスに乗り込み、国境で手続きをする。意外と簡単だった。トルコ側に入ると、シェアタクシーに乗る。すでにロシア系の女性2人がタクシーに坐っていたが、私を加えて、もうひとりを待っていた。10分くらい経って、トルコ系のおじさんがやって来て、出発。ホパスのバスターミナルに午後5時到着。でも、1時間遅くなるので、グルジア時間の6時となる。かなり雨が降っている。トラブゾン行きのバスは何時に出るのかと聞くと、あと30分だと言われる。待ってもなかなかバスが来ない。結局、90分後に到着。しかし、バスは超満員。でも何とか運良く席をゲット。が、出発寸前にエンジントラブル。しかし、10分後にメカニックがやって来て、私の座席の下にある道具を取り出して、10分で修理。雨の中ご苦労様。
ホパスの待合室にあったトラブゾンの地図を良く見ると、エアポートが幹線道路沿いにある。これならトラブゾンの町に入って、そこからバスでエアポートに行くよりも途中で降ろしてもらった方が良いと心の中で思っていた。3時間ほど過ぎて、多少転寝をしていたが、急に目が覚めると、なんと右側にエアポートが見えてきた。急いで運転席に行って、ここら辺で降ろしてくれと頼む。午前2時の出発までまだ時間があったので、その近くにあったショップでサンドイッチを買って、ネットカフェに持ち込んで食べる。日本語の読み書きができなかったけれども、英語でサーフィンする。
飛行機は時間通りに出発。機内食にまたショップで買ったようなサンドイッチが出たが、これも食べる。朝4時にイースタンブールに到着。そこで2時間ほどのトランジット。眠れそうな席を見つけて、時間ぎりぎりまで休む。グアランテップには朝6時15分に到着。そこからバスを乗り継いでキリス行きのバスに乗り込む。キリスからトラックでアザズへ。トラブゾンからグアランテップまでの飛行機以外、行きと全く同じルートを辿る。そこからミニバスに乗って、お昼頃にアレッポに。2時のタルトゥース行きがあったので、それに乗り込む。タルトゥースには午後6時着。ホテルに荷物を置いて、さっそく海岸へ。ちょうど地中海に沈んでいく夕陽に間に合った。海岸沿いにあるオープンカフェに坐って、チャイをそそる。夕陽が沈んだ後、新月に近い三日月が西の空に。しばらくすると、三日月は海の中に消えていった。
アンマンからアンマンへ7カ国をゆく#15(アルメニア?、アラヴェルディ)(by 放蕩息子33さん)
2005年8月30日
「国境を通れない?」
テラヴィから再び、トビリシに戻る。テラヴィ着のバスターミナルからアルメニア行きのバスターミナルはそんなに距離がないと思っていたが、どうやらそれは違うようだった。バス待ちをしていた人のひとりに言われた市内バスに乗り、その中の乗客のひとりにアルメニア行きのバスターミナルにこれは行くのかと聞いたら、着いたら教えてあげると言われた。ここだと言われて一緒に降りた。他に彼女と見られる女性と男性1人も降りた。そのひとりが私をそこに連れていってくれるようだ。2人と別れて、私を案内した。バザーを通って、しばらく行くと中央駅が見えてきた。おかしいな? こんなところからバスがアルメニアに出ているのかな? 情報ノートにはそんな風には書いていなかったのにと思っていると、彼はソーダ屋台の前で止まって、私にチョコレート入りのソーダをご馳走してくれた。
そこで彼はアルメニア行きのバス停がどこにあるのか店員に尋ねた。何だ、彼もよく分かっていないのだ。そして中央駅の方に向かう。中央駅の地上のところにミニバス停があって、そこからアルメニア国境付近のマルネウリ行きのミニバスが出ていた。ちょうど、ミニバスが出るところだったので、チケットを購入して、彼にお別れの挨拶をすると、紙切れに自分の携帯番号を書いて、「何か困った事があったら、電話しろ」と言ってくれた。
マルネウリで降ろされ、その目の前に国境の町となるサダフロ行きのミニバスが待機していた。まだ出発時間まで時間があったので、これも目の前にあったお店でチーズ入りのパンを買って食べる。その隣にチャイハウスがあったので、チャイを注文する。しかし、そこのおばあちゃんがどこかに行ってしまう。私はテラスで待っていたが、なかなか現われてこない。そろそろミニバスが出発するかもしれないのに、何をしているのだと思ったら、ポットにチャイを入れて持ってきてくれた。さあ、飲もうかと思ったら、ミニバスが出発する。結局、一口、口にしただけで出て行こうとするミニバスに飛び乗る。
サダフロに着いて、そこからイミグレまで500メートルくらいの距離を歩く。しかし、ゲートのところに来ると、イミグレらしきところはない。係官に聞いてみると、ここからタクシーに乗って、他の国境のところを渡らないといけないらしい。何だ? 情報ノートにはちゃんとここから越えられて、ヴィザ代が15ドルと他の国境と比べたら安い値段で越えられると書いてあったのに。それでタクシーでここから5キロくらいのところにある国境でヴィザ代30ドルを払って、ようやくアルメニアに入国。これでやっと100カ国達成したことになる。
さて、アルメニアにやっと入国できたはいいが、反対側のところにはバスが出ていない。タクシーは相変わらずぼってくる。まあいい、ちょっと歩いたら、ヒッチもできるかもしれないと思っていると、ピックアップトラックがやって来て、1ドルで乗せていってくれるという。どこまでかは分からないが、目指すはアラヴェルディの町だ。そうしたら、もうひとりの青年も乗ってきた。どうやら彼は私をアラヴェルディの町まで連れていってくれるようだ。
途中のどこか分からない、川沿いの何もないところで私たちは降ろされた。そこからバスがあると青年は言う。しばらくバスを待っていたが、なかなか来ない。が、やっとバスがやって来た。かなりおんぼろだ。こんなおんぼろバスはインドでも見た事がないというほどおんぼろだ。それに中は超満員。やっとの事で中に入って、このぼろバスはアラヴェルディの町まで行く。現地通貨がなかったので、1ドル運転手に払う。降りたところからロープウェイに乗る。これが地元民の通勤手段である。かなりの高い崖のところにロープウェイは上がっていって、そこにアラヴェルディの住宅地がある。下にはデベド川が流れている。青年は私に彼のところで泊まるように言ってきた。が、私はあまり気がのらない。第一、この青年は国境のところで一体何をしていたのだろう?
青年は私のかばんをひとつ持ってくれて、是非、俺のところで泊まっていけと言う。そしてこの辺の見所を案内してくれると言う。とりあえず、彼のアパートへと向かった。中に入ると、彼のお母さんがいた。6歳くらいの男の子が眠っている。リヴィングには古そうなテレビが一台とベッドがひとつ置いてある。キッチンにはほとんど何もなく、電気コンロのコンセントから伸びた裸の電線をソケットに差し込んで、お湯を沸かそうとする。その後で晩御飯を作ってくれると言う。何を作ってくれるのかなと思ったら、まずそうなお米とマカロニグラタンを水の中に入れて、それをコンロにかける。
何もないリヴィングにテーブルらしきものと椅子らしきものを置いて、3人で食事を始める。メニューはマカロニライス。はっきりと言って、こんなまずい家庭料理を食べたのは初めてだ。でも、ちゃんときれいにいただく。その後、しばらくして、お母さんがうちには何もまともな食料がないから、そのお金を恵んで欲しいとか何とか言ってきた。やっぱり、予想していた通りのシナリオだ。私は分からない振りをして、青年にこの近くにあるサナヒン修道院に行ってみたいと言った。そうしたら、彼はワイシャツに着替えて、男の子を連れて、私と一緒に出かけた。
草原を渡って、山の方に向かって歩く。そうすると、サナヒン修道院に出た。修道院の中に入ると、他に誰もいなかったので、彼はタバコを吸いだした。が、入ってきた修道僧に怒られる。外に出て、丘が見えたので、そちらの方に向かう。途中で湧き水が出ているところがあったので、そこで彼らは水を飲む。さらに歩くと、木に何か分からないが果物がなっていたので、彼らはそれをちぎって食べる。私にも分けてくれるが、あまりうまいとは言えない。丘の麓に着いたら、私は頂上をめがけて登り始める。彼らは下で待っていると言う。やっと、彼らから解放された気分だ。案内してくれるのはいいが、何かの不健全な目的を持って、私に親切にしているのは目に見えているから、その束縛から解放されるとほっとする。
頂上からの眺めはなかなかのものだ。下に工場がなかったら、ここは素晴らしい観光地になっていたのになとちょっと残念に思う。かなりの時間をそこで過ごす。アパートに戻ると、今度は奥さんが入ってきた。お腹がちょっと出ているので、もうひとり身ごもっているようだ。あまり旦那とお母さんとは仲が良さそうに見えない。お母さんがまた私に食料がないからどうのこうのと言ってくれる。私はたまりかねて、青年にこの町にあるホテルに連れて行ってくれと言う。しぶしぶ、青年は分かったという感じになって、そこまで案内してくれる。
この町には一軒しかホテルがないようだ。ホテルデベドというところで、G子さんの手書きの情報には廃墟のようなところと書かれてあった。ホテルを見せてもらうと、部屋はまあまあだったが、バスルームに水が出ない。その代わり、水の入ったペットボトルが何本か置いてあり、それで水を流して、手を洗ったり、うがいをしたり、顔を洗ったりするようだ。とりあえず、ここに泊まることに。そうしたら、受付の太ったおばさんがウェルカムドリンクのお茶をご馳走してくれると言う。後で情報ノートをネリダリの家で見たのだが、このお茶代を支払わされる旅人もいたらしい。私の場合はお茶代をただにしてもらって、部屋代も多少値切った。
アンマンからアンマンへ7カ国をゆく#13(グルジア?、カバル)(by 放蕩息子33さん)
2005年8月28日
シェキから再び、グルジアに入国するが、ありがたい事にグルジアは2005年の6月からヴィザが不要になったので、何回出入りしても、ヴィザを取得する手間が省けた。だいたい、アゼルバイジャンとアルメニアの仲が悪いので、これらの2つの国境は閉鎖されているから、それらの中立国となるグルジアにまず出てから、再び入り直さないといけない面倒がある。それがグルジアのヴィザ取得の必要がなくなったおかげで、カフカス3ヶ国の旅がかなりし易くなった。
さて、コピーしたガイドブックに手書きでご丁寧にシェキからグルジアの入国の仕方が書いてあった。G子さんが情報ノートから写し書きしたのであろう。それを見て、私はシェキからまずミニバスに乗って、ザガタラの町に向かう。だいたい2時間で、6000Amだったのは書いてある通りだった。このバスの旅の景色は素晴らしかった。右手に大カフカス山脈が見えて、壮大な景色を堪能できた。ザガタラで他のミニバスに乗り換える。ちょっと、時間があったので、バスの目の前のパン屋でチャイと菓子パンにありつく。30分くらいでバフォンの町に着く。これも1000Amで書いてある通り。
バフォンの町に着いて、ここからタクシーに乗って、10000Amで国境に着けると書いてあったので、残金を見てみると、まだ15500Am余っていたので、レストランでも入ることにした。降りたところをうろうろとしていると、どこから現われたのか知らないが、ジプシーの高校生くらいの年齢の女の子が私に寄り添ってくる。何だ、物乞いかと思ったが、そんなに汚い格好はしていない。が、やはり物乞いのような波動だ。しかし、物乞いにしてはなかなかかわいい。まあ、そんなに変な女の子ではなさそうだったので、この辺にレストランはあるかと私は彼女に尋ねた。英語が分かるわけがないので、私は「ケバブ」と言って、手で食べるまねをしたのだったが。
そうしたら、いきなり手を握ってきて、連れて行ってあげると言って、手を離さない。これは何かおごらされるかもしれないなと思ったが、おごってあげられるほど残金がないので、断ろうとしても、なかなか手を離さない。バックパックを背負った、変な東洋人とジプシーの女の子が濃厚に手を繋ぎながら町を闊歩している光景は想像を絶するものであったのだろう。さすがに通行人も目を見張った。かなりの注意を払われたのはその女の子の胸がかなり大きかった事もある。反対側にあるお店の人たちまでも「おおー!」という感じでこちらを見て、こちら側にあるお店の女性店員までも何か淫乱ねという感じで私たちを見た。アゼルバイジャンは基本的にムスレムの国だから、なおさらである。
こんな光景はモザンビークのマプト以来である。マプトに着いたばかりでホテルへの道を聞いた黒人の若い女の子2人が私と一緒に手を繋いで、ホテルまで案内してくれた。そうしたら、通りがかりの黒人のおじさんたちが親指を突き立てて、首を振って、「でかしたぞ! 2人もいっぺんにか!」という感じで、大笑いして、ハイファイを求めてきたことがあった。
レストランまで1キロくらいあったに違いない。町中のネタになりそうな光景を町の人たちに振りまきながら、ようやくレストランに着いた。意外と女の子にはマナーがあるらしく、中には入ってこないで、外で様子を伺っている。ウェイトレスにお金を見せながら、5000で何か食べられるものはあるかと私も半分物乞いのような感じになって、聞いてみると、キッチンに入って来いと言うので、中を覗くと美味しそうなロールキャベツが煮込んであったので、これとパンを頼んだ。最後にチャイが欲しいと言うと、残金でまかなえるかなと考えていると、チャイはサービスしてくれた。これが最後のアゼルバイジャンでのチャイとなった。
レストランから出て、国境辺りに行ってくれるタクシーを探していたが、反対側にバスが停まっている。う? これは国境辺りに行くようなバスじゃあないかと中に入り込んで、乗っていた乗客に「グルジア?」と聞いたら、うんとうなずいたので、荷物を持って、中に入った。しばらくして運転手が乗り込んできて、6000Amをみんなから徴収し始めた。なんだ、あと4000も残ってしまった。バスは30分くらいで国境に着いて、ここで終点かなと思ったら、グルジアのカバルの町まで行くという。これは良かったと思ったが、降ろされたところでちょっと苦労する羽目になる。
2人のおばさんたちが道端でバスを待っていた。しばらくすると、バフォンから乗ってきたおばさんたちもやって来た。計5人でバスを待っていたが、なかなかバスが来ない。ヒッチもしようとしたが、これも車が停まってくれない。やっと停まってくれたかと思ったら、このバスは私の目指すテラヴィには行かなく、トビリシ行きらしい。こんな風にして、2時間以上が過ぎた。地元の若い男どもが私に話し掛けてくる。が、あまりよくお互いに理解し合えないが、私の事に興味を持っているらしい。
それからまた1時間くらいが過ぎようとした時、地元のじいさんが来て、家で泊まっていきなと言う。いやあ、時間が限られているから今日中にテラヴィに着きたいと思っていたので、断る。まだ日が暮れていない。30分くらいたって、今度は地元の男どものひとりが私に近寄ってきて、今日はバスがもうないから、家で泊まっていきなさい。そして翌朝にテラヴィ行きのバスがあるから、それに乗っていったら良いと片言の英語で話し掛けてきた。よっぽど私に泊まって欲しいかのようだ。私がぐずぐずしていると、荷物を持ち上げて、行こうと促した。しょうがない、スケジュールがずれるけれど、来ないものは来ないのだと諦めて、彼の家に今日は泊まらせてもらうことにした。
幹線道路から奥の方に入っていって、門をくぐると、立派な家が見えてきた。そのリビングに通されて、まあ休みなさいと言われて、ケーブルテレビをつけてくれた。グルジアにもかなりのチャネル数があるケーブルテレビがある。しばらくして、奥さんがチャイとお菓子とジャムを持ってきてくれた。彼の名前はワディンで、校長先生の息子らしい。子供が2人いる。ワディンは変わったチャイの飲み方をした。ジャムを口に入れて、それからチャイを飲む。このジャムは自家製の野イチゴから作られたものだ。裏には畑があって、イチジク、リンゴ、柿、トマトなどかなりの農作物が作られている。
表にはブドウがなっている。他に牛や鶏が飼われていて、かなりの大きな農家だ。この辺はだいたい農家が多い。私もワディンと同じチャイの飲み方をした。ジャムが手作りだったので、かなり美味しい。そうやっていると、急に他の地元の男のひとりが駆け込んできて、今テラヴィ行きのバスが来ているから、急いで!と言ってきた。私とワディンは荷物を取って、急いで幹線道路の方に飛び出た。しかし、既にバスは出発した後だった。どうやら、私はここに泊まっていきなさいという運命だったのだ。
しばらくすると、お父さんが入ってきた。いかにも校長先生という風貌だ。家の中でもその態度を崩さないで、立派に振舞っている。息子とは大違いだ。私のパスポートを見せてくれと言ってきた。ワディンに私は100カ国を廻ったと言ったからだ。そのパスポートに100カ国のスタンプは押してなかったが、うわあ、マダガスカルだ! これは? パキスタン、南アフリカ、イラン、タイなど一杯ヴィザやスタンプが押してあったので、非常に興味深そうに私のパスポートを見ていた。それもそのはず、この校長先生の前の担当は地理だったからだ。部屋から出て行って、世界地図を持ち出してきた。これを見ながら、私の行った国々を辿っていった。
奥さんは子供たちとどこかに外出してしまって、他に女の人の姿を見かけなかったので、今日は夕食抜きかなと思っていると、ワディンがぱぱっと料理してくれて、取立てのトマトやキュウリ、トマトや茄子の煮込み料理、自家製チーズ、自家製ワイン、ホブスに似たパンなどが出てきた。今まで肉中心の料理ばっかりだったので、これはありがたい。取立ての野菜はやはり美味しい。男どもだけの晩餐となったが、そうなると、ワインで乾杯!となる。自家製ワインは赤ワインで、それをみんな一気に飲み干す。えっ、ワインも一気飲みするの?と唖然としたが、私は私のペースでちびちびといただいた。
その後、校長先生の奥さんらしき人が現われて、デザートにチャイとお菓子とコリアンダの入ったヨーグルトドリンクを持ってきてくれた。私はコリアンダが嫌いだったが、なんとかヨーグルトドリンクを飲み干すと、もう一杯注いでくれた。これも栄養ドリンクとかの宣伝のようだが、まずい!(無言で)もう一杯となってしまった。
アンマンからアンマンへ7カ国をゆく#10(グルジア?、トビリシ)(by 放蕩息子33さん)
2005年8月23日
ホテルから出て、線路のある方に歩いていく。陸橋があって、そこを登って、反対側に降りていく。どうやらここは地下鉄の駅のようだ。切符を買って、多くの人たちが入っていく方のプラットフォームに上がっていく。そして列車がやって来た。列車に乗ると、独特の雰囲気が漂う。いかにもロシア圏という感じで、無精ひげを生やした男どもが放つ息はウォッカの臭いが染み付いている。2つ目の駅に着くと、多くの人たちが降りた。ここは中央駅に違いないと思って、思い切って降りてみる。地上に上がると、そこには中央駅らしき建物があった。この辺にネリダリの家があるに違いない。
まずは駅の構内に入って、インフォメーションを探す。しかし、どこにも見当たらない。しょうがないので、チケットカウンターに行くが、英語が通じない。電話交換手のところに行くと、ちょっと英語が通じたので、この辺にネリダリの家というゲストハウスはないかと尋ねると、ネリダリという発音が通じないらしい。これはいけないと思って、駅周辺を当たってみるが、誰に聞いてもネリダリという意味が分からないらしい。てっきり、すぐに分かるという考えがあったから、住所も電話番号も聞いてこなかったのが災いした。
警察署だったら分かるかもと日本的な発想で、そこでも聞いてみることにする。ネリダリ? 何じゃそれは?という感じで、いかにも聞きなれない日本人の名前を名乗っているかのように対応される。しかし、警察官は親切にも駅に一緒に来てくれて、それが分かりそうな人を当たってくれる。1時間くらい経ったが、これではいくら頑張っても骨折り損のくたびれもうけにしかならないのが目に見えて、貴重な時間を浪費してしまうので、あとは自分でどうしたら良いのか考えるしかない。
よし、それだったら、まずアゼルバイジャン大使館に行ってみようと決めた。どうせ、アゼルバイジャンのヴィザをここで取らないといけないし、ひょっとしたらそこに旅行者がいて、ネリダリの家を知っている人が現われるかもしれないという勘が働いたからだ。電話交換手にやっとのことでアゼルバイジャン大使館の住所を聞き出して、そこに向かってみることにする。再び、地下鉄に乗って、2つ目の駅で降りて、そこから近くにあるということだった。
しかし、言われた通りに来てみても、アゼルバイジャン大使館らしきものは見当たらない。おかしいなと思って、通行人に聞いても、誰も知らない。ちょうどその時、交差点にいた旅行者風のカップルがいた。さっそく、彼らに聞いてみることにする。「私たちもアゼルバイジャン大使館を探しているのですよ。でも、どうやら移転したらしく、そこに向かう為に今ミニバスをここで待っているのです」とグッドタイミングだった。しかし、ミニバスはなかなか来ないので、一緒にタクシーをシェアして、そこに向かうことにした。こういう事は本当によくある事で、いきなり大使館やらがどこか別の場所に移転してしまって、ガイドブックどおりに行ってみたら、なかったと分かって、またフリダシに戻ってしまう。旅は人生ゲームのようなものだ。
そのカップルはイスラエル人で、これからアゼルバイジャンを1ヶ月くらい回る予定らしい。どこに泊まっているのかと聞くと、地下鉄の駅のそばの民宿に泊まっているということだった。最近オープンしたばかりで彼ら以外に誰も泊まっていないようだ。他に必要な情報を聞き出したが、ネリダリの家は知らなかった。
アゼルバイジャン大使館に着いて、ヴィザの申請待ちをしていると先にイスラエル人カップルが呼ばれた。その間にどこからともなく中央アジア風の女の子が現われた。色が浅黒くて、髪がストレートで長く、プラスティックバッグの中にものを入れている。どうも、日本人には見えなかったが、「どこから来ましたか?」と尋ねると、以外にも日本人だった。ちょっとそれには驚いたが、ロシア語が喋れて、旅をよくしているので日本人離れしてしまったのだろう。「ネリダリの家は知っていますか?」と肝心な質問をしたら、そこに以前泊まっていたと言う。これはラッキーだった。さらに、彼女はガイドブックを持っていたので、それをコピーしても良いですかと言ったら、ネリダリの家の近くの駅にコピー屋があるので、ネリダリの家に連れて行ってあげるから、その後でコピーしたらいいよと言ってくれた。これでなんとか旅の下準備ができそうになった。
中央アジアの女の子(ここでG子さんとしましょう)がヴィザを取ったら、その日のうちに夜行列車でバクーに行くという話を聞いたので、それでは私も一緒にと思っていたら、大使館でヴィザを受け取った後、ホテルに戻って、荷物を持って、いざ駅のチケットカウンターに急ぐと、バクー行きの列車は既に出発してしまったということだった。案外、グルジアの列車は時間通りだとちょっとがっくり。まあ、気を取り直して、明日の夜行列車の切符を購入することにする。
ホテルに戻ったら、ウクライナのおばちゃんが「あーら、どうしたの?」と尋ねてきて、「それだったら、この人も車で明日バクーに商用で行くから、あなたをただで乗せていってあげるわ」と言ってきた。隣には昨夜見かけたスキンヘッドの兄ちゃんがいた。ここでまたまたがっくり。すでに明日の夜行列車の切符を購入してしまっていた。「そんなの捨てなさいよ」とおばさんは言うが、車よりも夜行列車の方がゆっくり休めそうだ。
次の日、気を取り直して、ここから1時間ほどのところにあるムツヘタに行ってみる。ムツヘタの見所はスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂だ。ここに入ったら、いきなり若い女性からインタビューされる。どうやら、観光客にアンケートを取っているようだった。近くに大柄で、赤いあごひげを生やした神父さんがいた。近くに坐って、確か、ここに伝説による聖なる癒しの水があると聞いたのですが・・・と神父さんに尋ねると、英語が分からないようだったので、インタビューしてくれた女の子を呼んで、通訳してもらった。それでも彼女は英語が分からなかったので、さらにインフォメーションセンターからガイドの女の人を呼んで、私の聞きたい内容を通訳してもらったら、ガイドの人がそこに連れて行ってあげると言ってきた。
教会に再び入って、しばらく奥の方に行くと、タンクがあって、それだと言った。なんだ、さっき見たこれだったのかとちょっと拍子抜けした表情をしたら、これは祈りでエネルギーが入っているから、本物の聖水なんですよと言われて、空になったペットボトルに水をしっかり入れ込んだ。
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