エミレーツ航空 ファーストクラスで マダバ〜ネボ山(by ジェロニもさん)
ドバイを経由して、ヨルダンのクイーン・アリス国際空港へ定刻通り到着しました。
ドバイ〜アンマン間はアラビアンパスの格安ファーストクラスを利用しました。
空港からは英語の話せるドライバーで、
マダバ−ネボ山−死海−カラク−ペトラと移動しました。
【旅行時期】2007/01/01~2007/01/01
【エリア】
マダバ
【テーマ】
【投稿者】
ジェロニも
ミーハー欧州蹴球紀行3〜ミラノ編〜(by マルコ・ボーボさん)
2004年2月から3月にかけて約3週間、サッカー観戦と遺跡・美術館巡りにイタリアとスペインへ行って来ました。
イタリアでの日程はミラノ(飛行機の都合で1泊)→ローマ(1試合観戦・4泊)→パレルモ(1試合観戦・1泊)→ミラノ(1試合観戦・4泊)の10泊11日です。
ミラノ→ローマ→パレルモと周り、イタリア最後の地・ミラノへ再び戻ってきました。
ここでミラノダービー観戦する予定です。
※写真はダービー直前のサン・シーロスタジアムのミラン側ゴール裏。
Armenia(by kmさん)
グルジア国境で車に乗せてくれた「親切な二人」は、恐喝グループだった。渡された名刺は他人の物だろう。確かに彼らの人相は非常に悪く、体格と声はやくざ風、振る舞いは粗野だったが、アルメニアは見かけが悪くてもいい人が多い。前回訪問時、実際には良い人を疑って申し訳なかったと自省することが多かったので、今回は信じてだまされてしまったのだ。2人組はセバン湖などいろいろ連れて行ってくれた挙句、人気のないところに移動し最後は「300ドル払え」。1度目のアルメニア訪問時親切にしてもらったA氏の連絡先やアルメニア語会話帳も取り上げられたまま。妙に日本のことに詳しいこの男、相当多くの日本人を食い物にしてきたのだろう。運よく家から出てきた農家の人に車の窓から助けを求め、家の中に入れてもらう。言葉は通じなかったので事情はうまく伝えられなかったが、食事やお土産のりんごまでいただき、タクシーを呼んでもらう。翌日は、アゼルバイジャン内の飛び地「ナゴルノカラバフ」へ。YerevanからGorisの町まで乗り合いバス、そこから英人旅行者とタクシーをシェア。国際的には未だアゼルバイジャン領の土地だが、ソ連崩壊後のカラバフ戦争によりアルメニアが占領、アゼルバイジャン系住民は難民となりアゼルバイジャンの各地に離散。カラバフは独立宣言するものの、アルメニア以外で承認している国なく(ただしアルメニア財界の影響力が強い米仏に連絡オフィスあり)、アルメニアの傀儡というのが世界的な認識。アルメニアは、アゼルバイジャンに囲まれた飛び地となってしまうカラバフとアルメニア本土をつなげるために「ラチン回廊」という通行路を確保しているのでアゼルバイジャンへの入国手続きをすることなくアルメニア本土と行き来できる。・・・きっとアゼルバイジャン領に囲まれたラチン回廊は緊迫していてアルメニア兵士だらけ、検問連続のばず・・・というのが私の予想だった。実際に行ってみると、ラチン回廊どころかカラバフとアルメニア本土の間にあるはずのアゼルバイジャン領はすべてアルメニアの支配下、アルメニア本土とカラバフは隣り合わせになっておりカラバフはもはや飛び地ではなった。たまげました。TNT(オランダの運送会社)作成の地図をコダックのアルバムに載せたので見てください。入国審査も検問もなく、兵士もほとんど見ないまま、カラバフ共和国に入国。廃墟となった家々やモスクが悲しい元アゼルバイジャン系の町シューシによって、首都ステパナケートへ向かう。「あそこの戦車はアルメニア軍のものだよ。アゼルバイジャンは狙撃兵が抵抗してただけで戦車なんか来れなかったんだ。」聞けば聞くほどアルメニアの圧勝だったようだ。「あそこがアルミャンスキー(アルメニア人)の墓場だよ。」アゼルバイジャン系の墓場は別にあった。難民となったアゼルバイジャン系の墓参りは一生できないかもしれない。ステパナケート中心部は普通のアルメニアの町となんらかわることなかった。スーパーもあり、路線バスなんかも走っていて結構大きい町だ。アルメニア人観光客が結構来ていて土産物屋も出ていた。戦争が再開しそうな緊張感はまったくない。帰り道、カラバフ共和国ビザのない私は警察に拘束。手記・デジカメ画像などすべてチェックしつつほとんど分からない独語による取調べ、2時間半後解放。ガソリンスタンドでは、ガソリンの代わりに天然ガスを使用、車もそれに対応して改造されていて驚いた。アルメニアは天然ガスの豊富なロシアとは親密なのだが、反ロシアのグルジア・敵国アゼルバイジャンに阻まれロシアとの陸路は遮断されている。24hオープンのイラン国境。足を机に上げて寝ていたカーキ色の制服を着た係員を起こしスタンプを押してもらう。これで出国手続きは完了のはず。ところがこのあと別棟に案内されなぜか白い制服のロシア人係員による検査!ロシア国旗、ロシア兵、スタンプこそ押されないものの綿密なパスポートチェック。もちろんロシア語。ここがソ連国境でなくなってから15年経過しているのに未だに国境警備をロシアに頼っているのだ。(そういえば2003年時点のタジキスタンのアフガン国境もロシアが管理していた)。ウズベク人だというロシア兵士には、敵国アゼルバイジャンのアリエフ大統領についての意見まできかれた。国境での思想チェックはイスラエルですらなかった。生まれて初めての経験。イランとアルメニアの関係は良好なので国境越えは簡単だと思っていた私は面食らった。イランイミグレへ続く長い緩衝地帯を歩きながら安堵で力が抜ける思いがした。
(以上2006訪問時)
http://4travel.jp/traveler/km/profile/Alaverdi, Erevan, Garni, Geghard, Echimiadin..
世界に広がるアルメニア人の組織。[・・・ヤン]は典型的アルメニア人の名前。例:カラヤン
世界各地でアルメニア人には出会ってきた。カイロの時計屋でおじいさんが読んでいたアルメニア文字新聞、イスファハン(イラン)のアルメニア人地区、ベイルートの宿で見せてもらったアルメニア人の信仰の刺青、トルコで見たアクダマルの教会、ソロモンで出会った記者、そして映画[Ararat]・・・僕はアルメニアには特別な意識と思いを抱いてきたし、今でも注目している。
強いアイデンティティーとプライドを持つ海外のアルメニア人に比べ、アルメニア本国のアルメニア人は、長いソ連の支配下のもとアルメニアらしさを相当失ってしまっているように見え、それが少し残念だった。
【旅行時期】2006/08/~2006/08/
【エリア】
アルメニア
【テーマ】
【投稿者】
km
バクー城壁と石畳の町(1)(by ka-zu2さん)
アゼルバイジャン 北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国鏡を接した国。
成田発、イスタンブールを経由して、バクー空港へ長旅だ。
ガランとした、空港ロビーを抜け車でバクー市内のホテルへ直行。(ビザの取得に2時間もかかり)やっと寝ることができる<<gugugu.....
アゼルバイジャンの市都バーク
バークの名は、ペルシャ語で(風の町)と言うらしい
緑の無い山、町全体が土色で
雲一つ無い青空とのコントラストがいいね^^......
ここは、アゼルバイジャン唯一の世界遺産
乙女の塔と城壁都市......
アズナヴールを聞く 片瀬貴文の日記【07.02.04】(by ソフィさん)
1月に、初めて私のシャンソン教室に来られた方に教えられ、シャルル・アズナヴール「日本さよなら公演」を聞きに、フェスティヴァル・ホールに行った。
「さよなら」と称するのは、これまで何回も日本で歌ったが、「これが最後」ということらしい。
驚いたのは、15時の開演から1時間半あまり、30曲ほど、最初から最後まで、彼の熱演が連続したことだった。
84歳とは思えない身体の若々さ、ほとばしる熱気にも圧倒される。
演技は地味だし、歌そのものも特に目立たない。
曲目も、私にとってほとんど馴染みがない。
それでいて、こんなに長い時間、惹きつけられ続けたのは、なぜだろうか。
それは彼が発散する、放射線のようなものに違いない。
彼の一挙手一頭足には、実に深い、知性と誠意を感じさせるものがある。
これは彼の長い人生経歴が、積み重なり、熟成されたものに相違ない。
彼が何回も越えた山は険しく、谷は深かったであろう。
彼の父はグルジア、母はアルメリア出身と聞く。
このあたりは、有史以来、ユーラシア大陸、東西南北文明の、交差点だった。
2000人の観客が、一人平均2万円支払ったとして、一日の興行収入は4000万円である。
もしも365日続けたとすれば、150億円に近い金額になる。
80歳記念リサイタルは、定員3000人の大会場で、30日間も続いたらしい。
彼の凄さはどこにあるのか、もうひとつ私には判っていないように思える。
これからの、研究課題である。
ポーランド旅行記〜Krakow〜(by somedayさん)
1596年にワルシャワに首都が移るまで、ポーランド王国の首都として栄華を極めたクラクフ。第二次世界大戦で完全に破壊されたワルシャワとは対照的に、ほぼ完全な形で中世の街並みが残っています。特に中央市場広場を中心とした旧市街には、歴史的な建物がたくさんあります。
そのほかの見所としては、クラクフから1時間40分ほどかかるところにあるアウシュビッツ(オシフィエンチム)があります。アウシュビッツを訪れるかどうか迷いましたが、やはり行って良かったと思っています。戦争という状況の下、人間の狂気がどんなことをしたのか、過去の戦争時に日本人が行ったことを思い返さずにはいられませんでした。
【旅行時期】2004/09/11~2004/09/20
【エリア】
クラクフ
【テーマ】
【投稿者】
someday
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