ボンベイ,インドについて

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ボンベイ


極選!アジアフォーカス’08福岡国際映画祭<3>インド 「オーム・シャンティ・オーム」
西日本新聞, Japan - Aug 1, 2008
なかでもムンバイ(旧ボンベイ)で製作されるヒンディー語の娯楽映画は、ハリウッドをもじって、ボリウッド・フィルムと呼ばれ、豪華な衣装と多数のバックダンサーによるミュージカルシーンで有名です。昨年、ボリウッド映画のメガヒット作となったのが、超大作「オーム・ ...

リライアンス兄弟紛争、天然ガス事業でも訴訟継続
インド新聞, Japan - Jul 27, 2008
ムケシュ・アンバニ氏率いるリライアンス・インダストリーズ(RIL)の弁護士は25日、ボンベイ最高裁にて、同社はインド西部のクリシュナ・ゴーダバリー川流域で天然ガスを採取する受託業者であり、資源の所有権は国にあると主張した。 これは、アニル・アンバニ氏率いる ...

第一三共、ランバクシー株式取得手続き進展
インド新聞, Japan - Jul 21, 2008
第一三共株式会社(以下「第一三共」)は、急速に変化する環境に先見的に対応した『複眼経営』を実践すべく、2008年6月11日、Ranbaxy Laboratories Limited(本社:インド共和国デリー市、ボンベイ証券取引所及びナショナル証券取引所上場。以下「Ranbaxy」)の議決権総数 ...

印タタ・モーターズ:株主が10億ドルの資金調達を承認
ヴォイス・オブ・インディア, India - Jul 16, 2008
〈ムンバイー〉インドの自動車大手タタ・モーターズはボンベイ証券取引所(BSE)で15日、海外市場から社債または株式で10億ドル(約1040億円)の資金調達をすることについて、株主の同意を得たと公式に発表した。 タタ・モーターズは、借入金の限度額を2000億ルピー(4860 ...

Crossroads:アジア・アラブ映画祭 作家性強い作品に上映機会
毎日新聞, Japan - Aug 5, 2008
製作の中心地が大都市のムンバイ(ボンベイ)だからだ。 しかし、99年に映画評論家らが始めた「アジア・アラブ映画祭」には、ボリウッド映画がほとんど参加していない。ハリウッド映画は皆無。インドの独立系作品や日本などアジア各地の作家性の強い映画が並ぶ。 ...

マヒンドラ、4-6月期の決算発表
インド新聞, Japan - Jul 31, 2008
ボンベイ証券取引所へ提出した報告書によれば、同社の2008年度第1四半期の税引後収益は29億9570万ルピー(約76億円)であった。 収益が下がった主な理由は、ルピー安による為替損失が7億7900万ルピー(約19億8000万円。税引後では5億8200万ルピー、約14億8000万円)発生 ...

ボンベイ

「インドの世界遺産 The world heritage」? アジャンタ石窟寺院群 (by koiさん)

ボンベイ
ムンバイ(ボンベイ)は、インド経済の中心地であり人口は1600万人の近代的なビル立ち並ぶ大商業都市です。かつて私達が学校の社会科で習ったのは英国植民地時代の名残でボンベイと呼ばれていました。このムンバイをまだ真っ暗な早朝に列車で出発しブシャワールで下車した後、バスでオーランガバードへ向かい美しい壁画の残る「アジャンタ石窟寺院群」を見学しました。
アジャンタ石窟寺院群の発見
1819年にイギリスの一士官が虎狩りの最中に深いジャングルの奥に隠れていた岩の寺院群と出会い発見されました。つまり8世紀以来廃墟となっていたため30を数える仏教の石窟寺院が残っているのです。その壁画は、古代インドの姿を壁や天井に描かれていてグプタ朝の宮廷生活を伝えています。第1窟のアジャンタでもっとも有名な蓮華手菩薩と金剛手菩薩像の壁画があります。よく見ると奈良の法隆寺にあるような壁画と良く似ていて日本の佛教のルーツがここにあると言えるでしょう。第2窟には、入り口天井部の壁画に青い靴下の異邦人があり、そり他仏陀の誕生の壁画もありました。アジャンタの壁画は、壁面を這う湿気や来訪者の増大が原因となり貴重な世界遺産である文化遺産に憂うべき劣化が進みつつあるようです。そのためフラッシュによる撮影は一切出来ません。ゆえに洞窟内に設置してある暗い電球の中でしか鑑賞できませんでした。日本でも最近になって高松塚の壁画にカビが生えるなど問題となっていますが何時までも大事に保存して頂きたいものです。

 世界遺産は、国際理解の教材
私達の世界遺産は、人類の新時代に向けて自らの価値を提示する重要な役割を担っています。 そこには、緑豊かな森や山、清流や岩に富んだすばらしい自然環境があり、これらを人々は昔から保護し神々として敬ってきました。そのアニミズムは、生態系を維持するために、あらゆる生物種の保護に寄与し、そんな所に人々は癒しを求め巡礼し、その旅の途中に様々な人々の遭遇がありました。その出会いが、新たな文化を産みました。

多様性を敬うアニミズムは、その地で日本の民族宗教である神道に仏教を争うことなく受け入れ習合させてきました。 その智恵。多様性と対話の尊重に立脚して環境保全と世界の平和共存をうながしてきています。
 ユネスコの世界遺産は、文明間の衝突でなく文明間の対話をうながす最も優れた国際理解の教材でなければなりません。この対話の姿勢は、平和の文化を育むことでしょう。

■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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【旅行時期】1999/02/11~1999/02/12
【エリア】アジャンター
【テーマ】世界一周
【投稿者】koi

インドの旅 ボンベイ ムンバイ―ムンバイの町の熱風(by marukunさん)

ボンベイ
  • http://www.trave-l.com/blog/hunkorogashi/




  • http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/




  • まばゆいばかりのイルミネーションと、その裏にあるスラム街。
    カルカッタから牛と物乞いが激減した今、
    最もインドらしい街は、ひょっとしたらムンバイなのかも。

    香港からニューデリー、ボンベイへ


    2年後、ナイロビ渡航の前後に寄った。

    洗濯場
    洗濯場で働いているのは洗濯カーストの人々。
    カースト制は職業と結びついて細分化されており、
    洗濯カーストといっても「洗い」や「絞り」や「乾燥」などいろいろある 過去と現在の交錯するデリーは、まるでカラフルなキャンバスのよう。

    【旅行時期】1998/09/~1998/09/
    【エリア】ボンベイ
    【テーマ】プチ留学・カルチャー体験
    【投稿者】marukun

    カルカッタ生活 (その2)(by ガキさん)

    ボンベイ
    1974年末:ボンベイ・ゴア旅行、
    1975年:プリ・コナラクスーリャ旅行、
    1975年末:ネパール旅行、
    1976年:ベナレス・ブッダガヤ旅行、
    1976年:デリー・アグラ旅行。

    二度目に住んでいた家(Owner's Court)の入り口。

    【旅行時期】1974/10/05~1976/09/30
    【エリア】カルカッタ
    【テーマ】海外移住・ロングステイ
    【投稿者】ガキ

    上海のユダヤ人街・提籃橋(by 井上@打浦橋@上海さん)

    ボンベイ
    解放前、上海に「小ウィーン」呼ばれていた地域があったそうです。

    1938年から41年にかけて、ドイツとオーストリアのユダヤ人2万人が上海に避難してきたそうです。その中には杉浦千畝さんの取り計らいで日本に一時入国した(通過という扱い)ユダヤ人もいたそうです。その地域はどこかと申しますと、共同租界の中の日本人居住区の近くの提籃橋地区です。そして、その管理を日本人がしてたそうです。
    この地域には難民生活とは言え、彼ら向けの彼らによる店やカフェも増えて、それなりの街が出来上がっていき、「小ウィーン」と呼ばれたとか。

    上海にはそれより前にも、ユダヤ人は多かったようです。

    まずは、バクダッドやボンベイなどイギリス占領地域から来たユダヤ人です。この人達は上海で不動産や阿片や競馬などで大儲けした人達です。代表的な人はサッスーン、ハルドーン、カドゥーリです。
    サッスーンは和平飯店や錦江飯店などの上海の有名建築物のオーナーです。
    カドゥーリーは香港ペニンシュラの実質的なオーナーで、当時は大理石大厦なる豪華宮殿の様な建物のオーナーでした。
    その他、キャセイパシフィック・グループのスワイヤとか、ジャーデン・マセソンとか有力なユダヤ人も上海で活躍してました。
    このグループをセファーディック系ユダヤ人というそうです。

    このグループとは別にアシュケナージ系ユダヤ人というのがいまして、主にロシア革命で逃げてきたユダヤ系ロシア人や、東欧から流れてきたユダヤ人のことを言うようです。彼らは、上海で小さな商売やらレストラン経営などをしていたそうです。また音楽家や芸術家も多かったそうです。旧フランス租界には、実際にはフランス人より、こういった人達が多く住んでいたそうです。

    最後に流れてきましたユダヤ人が最初に紹介しましたユダヤ人グループでして、難民生活を強いられたそうです。
    カーター大統領時代に財務長官をしていましたマイケル・ブルメンソールもその中の一人です。当時、円高誘導を仕掛けた張本人です。

    写真は彼が住んでいた家です。59号の家がそうです。

    【旅行時期】2006/01/06~2006/01/06
    【エリア】上海
    【テーマ】海外移住・ロングステイ
    【投稿者】井上@打浦橋@上海

    インド(マドラス、バンガロール)(by kotayさん)

    ボンベイ
    1998年2月、インドへ行った。マドラスを起点にバンガロール、ボンベイ、デリー、アグラ、バラナシ、カトマンズ(ネパール)、カルカッタ。
    マドラスはとてつもなく暑かった。けど、街の人たちは素朴な感じがした。
    あまりに暑かったので、次どこに行こうかと考えていたら、「バンガロールは避暑地」と本に書いてあるのを発見。で、バンガロールへ向かった。夜は快適です。

    【旅行時期】1998/02/~1998/02/
    【エリア】バンガロール
    【テーマ】
    【投稿者】kotay

    (16)インド旅行(by 旅仁さん)

    ボンベイ
    エレファンタ島・エローラ・アジャンター・アグラ・デリー・ジャイプール等へ行ってきました。
    *エローラ・アジャンターの石窟内や各廟等で靴を脱がなければならない所が多いので,サンダル等のすぐ脱ぎ履きのできるものを持っていくと便利です。
    *エローラは小さな村はずれの小高い山の斜面の石窟の感じでしたが,アジャンターは山奥の渓谷内の石窟でした。
    *タージマハール入口の持ち物検査は非常に厳格で,バッグ類・カメラの予備電池も持って入れない状況でした。大丈夫と思っていたデジカメの電池が途中で切れてしまうというミスをしてしまいました。行かれる方は最近の状況を確認して気をつけてください。
    <詳細>行程等:
  • http://tabijin.searchnavi.jp/tabi16.html

  •       写真集:
  • http://tabijin.nobody.jp/page16.html





  • 【旅行時期】2004/02/28~2004/03/06
    【エリア】インド
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】旅仁

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