「インドの世界遺産 The world heritage」? アジャンタ石窟寺院群 (by koiさん)
ムンバイ(ボンベイ)は、インド経済の中心地であり人口は1600万人の近代的なビル立ち並ぶ大商業都市です。かつて私達が学校の社会科で習ったのは英国植民地時代の名残でボンベイと呼ばれていました。このムンバイをまだ真っ暗な早朝に列車で出発しブシャワールで下車した後、バスでオーランガバードへ向かい美しい壁画の残る「アジャンタ石窟寺院群」を見学しました。
アジャンタ石窟寺院群の発見
1819年にイギリスの一士官が虎狩りの最中に深いジャングルの奥に隠れていた岩の寺院群と出会い発見されました。つまり8世紀以来廃墟となっていたため30を数える仏教の石窟寺院が残っているのです。その壁画は、古代インドの姿を壁や天井に描かれていてグプタ朝の宮廷生活を伝えています。第1窟のアジャンタでもっとも有名な蓮華手菩薩と金剛手菩薩像の壁画があります。よく見ると奈良の法隆寺にあるような壁画と良く似ていて日本の佛教のルーツがここにあると言えるでしょう。第2窟には、入り口天井部の壁画に青い靴下の異邦人があり、そり他仏陀の誕生の壁画もありました。アジャンタの壁画は、壁面を這う湿気や来訪者の増大が原因となり貴重な世界遺産である文化遺産に憂うべき劣化が進みつつあるようです。そのためフラッシュによる撮影は一切出来ません。ゆえに洞窟内に設置してある暗い電球の中でしか鑑賞できませんでした。日本でも最近になって高松塚の壁画にカビが生えるなど問題となっていますが何時までも大事に保存して頂きたいものです。
世界遺産は、国際理解の教材
私達の世界遺産は、人類の新時代に向けて自らの価値を提示する重要な役割を担っています。 そこには、緑豊かな森や山、清流や岩に富んだすばらしい自然環境があり、これらを人々は昔から保護し神々として敬ってきました。そのアニミズムは、生態系を維持するために、あらゆる生物種の保護に寄与し、そんな所に人々は癒しを求め巡礼し、その旅の途中に様々な人々の遭遇がありました。その出会いが、新たな文化を産みました。
多様性を敬うアニミズムは、その地で日本の民族宗教である神道に仏教を争うことなく受け入れ習合させてきました。 その智恵。多様性と対話の尊重に立脚して環境保全と世界の平和共存をうながしてきています。
ユネスコの世界遺産は、文明間の衝突でなく文明間の対話をうながす最も優れた国際理解の教材でなければなりません。この対話の姿勢は、平和の文化を育むことでしょう。
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インドの旅 ボンベイ ムンバイ―ムンバイの町の熱風(by marukunさん)
http://www.trave-l.com/blog/hunkorogashi/http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/まばゆいばかりのイルミネーションと、その裏にあるスラム街。
カルカッタから牛と物乞いが激減した今、
最もインドらしい街は、ひょっとしたらムンバイなのかも。
香港からニューデリー、ボンベイへ
2年後、ナイロビ渡航の前後に寄った。
洗濯場
洗濯場で働いているのは洗濯カーストの人々。
カースト制は職業と結びついて細分化されており、
洗濯カーストといっても「洗い」や「絞り」や「乾燥」などいろいろある 過去と現在の交錯するデリーは、まるでカラフルなキャンバスのよう。
カルカッタ生活 (その2)(by ガキさん)
1974年末:ボンベイ・ゴア旅行、
1975年:プリ・コナラクスーリャ旅行、
1975年末:ネパール旅行、
1976年:ベナレス・ブッダガヤ旅行、
1976年:デリー・アグラ旅行。
二度目に住んでいた家(Owner's Court)の入り口。
上海のユダヤ人街・提籃橋(by 井上@打浦橋@上海さん)
解放前、上海に「小ウィーン」呼ばれていた地域があったそうです。
1938年から41年にかけて、ドイツとオーストリアのユダヤ人2万人が上海に避難してきたそうです。その中には杉浦千畝さんの取り計らいで日本に一時入国した(通過という扱い)ユダヤ人もいたそうです。その地域はどこかと申しますと、共同租界の中の日本人居住区の近くの提籃橋地区です。そして、その管理を日本人がしてたそうです。
この地域には難民生活とは言え、彼ら向けの彼らによる店やカフェも増えて、それなりの街が出来上がっていき、「小ウィーン」と呼ばれたとか。
上海にはそれより前にも、ユダヤ人は多かったようです。
まずは、バクダッドやボンベイなどイギリス占領地域から来たユダヤ人です。この人達は上海で不動産や阿片や競馬などで大儲けした人達です。代表的な人はサッスーン、ハルドーン、カドゥーリです。
サッスーンは和平飯店や錦江飯店などの上海の有名建築物のオーナーです。
カドゥーリーは香港ペニンシュラの実質的なオーナーで、当時は大理石大厦なる豪華宮殿の様な建物のオーナーでした。
その他、キャセイパシフィック・グループのスワイヤとか、ジャーデン・マセソンとか有力なユダヤ人も上海で活躍してました。
このグループをセファーディック系ユダヤ人というそうです。
このグループとは別にアシュケナージ系ユダヤ人というのがいまして、主にロシア革命で逃げてきたユダヤ系ロシア人や、東欧から流れてきたユダヤ人のことを言うようです。彼らは、上海で小さな商売やらレストラン経営などをしていたそうです。また音楽家や芸術家も多かったそうです。旧フランス租界には、実際にはフランス人より、こういった人達が多く住んでいたそうです。
最後に流れてきましたユダヤ人が最初に紹介しましたユダヤ人グループでして、難民生活を強いられたそうです。
カーター大統領時代に財務長官をしていましたマイケル・ブルメンソールもその中の一人です。当時、円高誘導を仕掛けた張本人です。
写真は彼が住んでいた家です。59号の家がそうです。
インド(マドラス、バンガロール)(by kotayさん)
1998年2月、インドへ行った。マドラスを起点にバンガロール、ボンベイ、デリー、アグラ、バラナシ、カトマンズ(ネパール)、カルカッタ。
マドラスはとてつもなく暑かった。けど、街の人たちは素朴な感じがした。
あまりに暑かったので、次どこに行こうかと考えていたら、「バンガロールは避暑地」と本に書いてあるのを発見。で、バンガロールへ向かった。夜は快適です。
(16)インド旅行(by 旅仁さん)
エレファンタ島・エローラ・アジャンター・アグラ・デリー・ジャイプール等へ行ってきました。
*エローラ・アジャンターの石窟内や各廟等で靴を脱がなければならない所が多いので,サンダル等のすぐ脱ぎ履きのできるものを持っていくと便利です。
*エローラは小さな村はずれの小高い山の斜面の石窟の感じでしたが,アジャンターは山奥の渓谷内の石窟でした。
*タージマハール入口の持ち物検査は非常に厳格で,バッグ類・カメラの予備電池も持って入れない状況でした。大丈夫と思っていたデジカメの電池が途中で切れてしまうというミスをしてしまいました。行かれる方は最近の状況を確認して気をつけてください。
<詳細>行程等:
http://tabijin.searchnavi.jp/tabi16.html 写真集:
http://tabijin.nobody.jp/page16.html
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